議論の勝敗だけにこだわる「知識人ごっこ」の輩を実名で糾弾する【中野剛志×適菜収】
中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第5回
新型コロナウイルスに対する「言論人」の見解が大きく分かれたのはなぜか? 新型コロナ軽視論を垂れ流し続けた「知識人」の胸の内はどのようなものなのか? 評論家・中野剛志氏と、作家・適菜収氏が、「知識人ごっこ」をして悪ふざけをする連中に鉄槌をくだす。ふたりの対談の新刊『思想の免疫力』では実名で糾弾する!発売は8月10日(Amazonでは12日)発売決定。
■「筆を折る」と宣言した人間
中野:以前に小林秀雄が未知の事態の対応に失敗した例として秀吉を挙げた話をしました。その同じ講演では成功例として信長の桶狭間の戦いを挙げているんです。
今川義元の大軍が押し寄せて来たとき、織田家の家臣団は清洲籠城を信長に進言した。こういう時は、籠城がスタンダードな理論だったからでしょう。でも信長は、圧倒的な不利をひっくり返さなければいけないという「未知の事態」に対して、既存の理論つまり清洲籠城ではダメだと判断した。それで、突如打って出て、桶狭間で今川義元を討ち取ることができたのだというのです。
これは「事変の新しさ」という講演ですが、小林は、信長は決して賭けに出たのではないとはっきり言っている。そうではなくて、信長は、現状を把握し、現実を直視した上で、そこから新たな理論を生み出すことで、未知の事態に対応したと言っているのです。
しかし、丸山眞男は、この講演を引きつつ、いきなり論理を飛ばして、「小林は、理論一切を否定して、絶体絶命の決断を原理化する決断主義に走ったんだ」と小林をカール・シュミット的な決断主義者だと決めつけた。前回の対談で扱った「直観」の問題とも関係しますが、丸山のような近代主義者は、理論以外の判断は、全部、決断主義にしてしまう。小林の話が通じないのですよ。
適菜:ああ、なるほど。いろいろ分かってきましたね。伝わらない奴には伝わらない。知識や能力がある人でも、人間の根幹のところで、共有できるものがなければ、伝わらない。
中野:まさに、そういうことです。直観というものは、その人のいる状況、その人のキャラクター、過去の経験その他もろもろと密接に関係があって、決して明示化できない。信長の例で言えば「清洲籠城は嫌だ。打って出るぞ」と言ったときに、家臣団は信長の真意を誰も理解できなかった。それは、信長が独断専行だからということでは必ずしもなくて、仮に信長がどんなに言葉を尽くしても誰も彼の直観を理解できなかっただろうということです。
適菜:テレビと同じで、レセプターがないと受信しない。「理性的に判断しましょう」と言い続けている人には、理性だけで判断することの危険性を指摘する中野さんのことは理解できないんでしょうね。あいつは「真善美に反している」と見えるのでしょう。
中野:そうでしょうね。昨年われわれは「新型コロナはどうも相当やばそうだ」と直観したけれど、われわれは疫学者ではないから、思ったよりやばいと思った理由を完璧には説明できないんですよ。だけれども、尾身茂先生や西浦博先生の訴えを聞いたり、海外の状況を総合的に判断したりして「これは、大変なことになりそうだから、気を付けた方がいい」と感じたわけです。
私も大衆迎合は嫌いだし、みんなが同じような台詞ばかり言っているときは、それと違うことを言いたくなることはよくありますよ。でも、今回の新型コロナは違う。これは、少なくとも自分は経験したことがないし、こいつはまずいという直観が働いたのです。その段階では、人には明瞭には説明できませんよ。だから説得は難しいわけですし、それについては、多分、感染症のプロたちだって難しかったと思います。というか、感染症のプロたちも、初めの頃は、「これは、新しい未知の事態だ。気をつけろ」という直観で動いていたという面はあるのでしょう。
適菜:そうですね。だから常識がある人は政府の方針でおかしなところがあればそこは批判していましたが、感染症そのものについては黙っていました。素人が専門分野に口出しできるわけがないですからね。そして、専門家も新しい事態に直面して、説明するための言葉を必死に探していたわけです。
中野:その通りです。こうした中、京都大学大学院教授の藤井聡氏はなんて言ったのか。昨年の6月に「もし僕が間違っていたら人前には出ません。筆を折ります」と言ったわけですよ。それで筆を折るのが嫌なもんだから、今は事実や論理をバキバキ折っているところです(笑)。
昨年の2月から4月頃、私は、自分の周囲で、新型コロナを軽視する知り合いに、「これは気を付けた方がいい」となんとか説得しようとしたことがありますが、失敗しました。説得どころか、小馬鹿にされた。でも、確かに、当時はまだ直観の段階でしたから、そんな私の直観を人と共有するのは無理だったんです。とりわけ、既存の理論にしがみついている人、間違った直観にとりつかれた人を説得するのは不可能ですね。それは、私の言葉足らずという問題もあったでしょうけれども。
でも、感染症や公衆衛生の専門家が「これはヤバいから、気をつけろ!」って言っているんだから、素人は、まずは専門家の言うことに従っておこうというのは、直観以前の常識的な話でしょう。それを、素人が突然「専門家」を名乗って、いきなり本物の専門家を名指しで批判しはじめ、挙句の果てに「僕が間違っていたら筆を折る」って、これ、どう理解したらいいんですかね。
適菜:絶望するしかないですね。福田恆存も西部邁も最後に「言論はむなしい」と言いましたが。